アルフィオの考察

今日はオケ付き通し稽古でした。

小学校の体育館を借りて、灼熱の中、熱演!
携帯までが熱を持って、撮影出来ませんでした。

さて、アルフィオという男。
よく、マフィアの前身だ。なんて言われるんですけど、
どういうことなんでしょうか。

アルフィオの職業は馬車屋です。
馬車ってのは19世紀後半のシチリアでは、最大の移動手段です。
もちろん車もある時代なんですけど、
ものすごい悪路だったはずなんです。

現在のイタリアだって悪路なんですから(笑)。

なので、その町の馬車の全てを掌握しているということは。
流通・貿易を牛耳っているんですよね。
その町の特産となるワインやオリーブなどその値段なども、
結局は馬車屋の流通コストによって左右されるわけです。

そして、その流通の先で必ず親密になるのが軍や警察など。
当時はまだ城壁・城門がしっかりしていたはずです。
そこの衛兵や関所を守る兵隊たちと当然仲良くならないと流通はままならないからです。
そうなると地元では手に入らないものや、都会からくる最先端技術だけではなく、
武器が手に入るようになるんですよね。

また、人脈も広がって行くので、弁護士や医者などはもちろんですが、
当時工業化が進んできた北部と違い、南部は農村ばかりでした。
だから工業化のための人夫や娼婦など下層階級までを流通の中で扱うことになるんです。

これだけならまだ、大店の若旦那くらいなんでしょうけど、
そこにシチリア人の気質が入ってくるんですね。

カヴァレリア・ルスティカーナというのは「田舎者の騎士道」という意味ですが、
もっと意訳すると、今回の杉オペの演出家の芯である、「田舎者の見栄」となります。

アルフィオにとっての騎士道は、自分の沽券・プライドです。
これを傷つけられたら全てを壊すほどの力を発揮する。
すでに、この町の実力者となり、田舎以外の世界の広さを知ってしまった男に、
兵役だとしても外の世界を知って帰ってきた男には、何か近しいものを感じていたかもしれません。

しかし、トゥリッドゥからしてみれば、外の世界を知ってしまっている分、
田舎の生活に絶望し、外の世界との繋がりがある男には嫉妬してしまうのは仕方がないことなんでしょう。

ローラはトゥリッドゥの元彼女だとしても、今はアルフィオのもの。
それに手を出したのはそれ以上の思いがあったはず。
一度はサントゥッツァに心を動かしたとしても、やはり閉鎖された田舎の中に生きた女性と、
外の世界と繋がりがある女性とでは、心が揺り動かされるのもなんとなく、わかる気がします。

アルフィオの傷ついたプライドはトゥリッドゥを亡き者にしただけでは治らないでしょう。
オペラとしてはトゥリッドゥが殺されたところで終わりますが、
サントゥッツァとマンマルチアの最後の叫びのあと、
その町が、そこの人々がどうなって行くかの。
それこそがこのオペラがヴェリズモオペラと言われる所以です。

ヴェリズモ

さー、あと一週間ですか。
今回の杉オペのカヴァレリア。

この作品19世紀末に書かれたイタリアオペラで、
作曲者が自身の過ごしたシチリアの田舎町をモデルにしています。
なので、超現代劇。当時はね。
そして当時の手法としてヴェリズモオペラ(現実主義)で描かれています。
つまり、登場人物が、仕草や表情を含め、特別なものではなく、
その内容は一般市民、特に貧困層の人々を中心に描かれた、
その中でも悲惨な出来事を細微に描くこと。

だから、まーね。人がね・・・死ぬんです。
当時のオペラはまず人が死ぬことで解決して行くことが多い・・・。

19世紀末ってことは日本は・・・明治ですね。
文明開化後の和洋折衷の時代です。
これより後にトスカや蝶々さんなんかが生まれます。

ヴェリズモって言うとね、
昔イタリアの語学学校でヴェリズモについて勉強したことがありました。
その時は美術の作品だったんですが、
うろ覚えなんですけど、確か、
ミラノの郊外の公園に美術作品として、
子供の人形が数体、首を吊ってぶら下がっているというのがあって
物議を醸し出したんですね。

そりゃそうです。子供が遊ぶ公園ですよ。

それをトーク番組でキャスターと美術の作品専門家かなんかが話しているんですが、
キャスターは当然これは酷いというようなことを言うですが、
その美術の専門家は、
「でも、これは人形でしょ?」って言うんです。
「今の時代なら子供の死体も紛争地域に行けば買うことができる」
「本当にリアリズムを追求するならそこまでやるべきだ」だって。

当時のイタリア語を勉強中だった僕は、
これを教科書にのっけれるイタリア人てすごいなって思いましたけどね。

ヴェリズムとリアリズムどちらも日本語に訳すと「真実主義」「現実主義」
美術でいうと写実性なんですって。
まるで本物のリンゴのように描く。

上の話だとじゃリンゴ置いておけば?ってことになっちゃうんですけど、
公園に首吊りを飾る(酷い言い方ですけど)ほど世間に訴えたいことがあるなら、
死体を買ってでもやり遂げるべきだっていうのがその専門家さんの意見だったですね。

専門家さんも悪い人ではなかったんですよ。
ちょっとリミットが高めだったんですね。

リアリズムとヴェリズムを区別するなら
真実に見せるものと真実を見せるもの。
そこの差だということです。

となると・・・僕も高田さんを刺し殺す必要が・・・。

でも文学作品はそういうわけにいかないですからね。
そうしたら究極その登場人物が本人がやる必要があるし、
舞台に乗っける時点でかけ離れてる。

でもヴェリズモオペラと聞くといつもその語学学校の授業を思い出します。
そこまで真実を追求して表現すること。

楽しい杉オペ「カヴァレリア・ルスティカーナ」
あと一週間です!!

朝から酷い内容の記事でした。
気分を害したらごめんなさいね。